変わらない世界
新しい街に住み始めた
歌謡曲がスピーカーから流れる古い商店街があり、八百屋や惣菜屋、ラーメン屋やスナックの他に新しいチェーン店も点在する田舎育ちの私にとっては不思議な場所だ。新宿や高円寺へ延びる大きな道路にはひっきりなしに車を通過するが、人々はよく道端で話をしている。
大家の営むタオル店の4階に住み始めたのは昨日からだ。築年数はずいぶん古いらしく、エレヴェーダは無い。
引越しは思ったよりも着実に、あっさりと終わってしまった。
一人暮らしだし、無論部屋はまだ荷物の詰まったダンボールだらけだし、やる事は沢山あるけれど。
私の悪い癖は何かを期待しすぎることで、小さい頃から何かを期待しすぎては現実に落ち込み、落胆している。
私は多分今落ち込んでいるのだと思う。
もちろん、無事に事済み、怖いほどに何もかも上手くいっているのだが。
新しい街へ住処を移したら、世界が変わるかもしれない、そこまでは思っていなかった。だけれど、何かが変わるかもしれないと思っていた。
でも、何が変わっただろうか。
私は私のままだし、私を取り囲む人間関係も、何も変わらない。
変わったのは朝目覚めた時に知らない天井があり、知らない人々が行き交う道があるだけだ。
私はきっと、世界を変えることが出来ない。
ピンク 時々 ミント
不動産契約が終わった後、私は三軒茶屋にいた。カフェ・ド・クリエのソルベージュミントチョコが期間限定で復活しているというので、足を運んでみたのだ。
しかし、三軒茶屋の店舗は既に閉店になっていて店らしきものは見当たらなかった。知らなかったとはいえ、どうしたものかと考え歩いているうちに路地裏へ入った。
新しく住む地域は街全体が路地裏のような雰囲気で、私は居心地が良いと感じる土地だ。
管理会社のオーナーだという女性は還暦を過ぎたあたりの少しだけ顔に険のある人だった。この土地で長い間1人で不動産業を営んでいるらしく、名刺には代表という記載があった。
一通り契約が済むと女性はこの地域の図書館やプール、市民劇場等の話をしてくれた。
「本なんてね、新しいことを知るにはとっても良いきっかけになるでしょう。此処いらの図書館は土日も20時までやっていますから」
「そうですか。私は取立てて趣味がないものですから、図書館が近場にあるのは嬉しいです」
「私もね、趣味で踊なんかを嗜んでおりますから、その先の劇場もよく使いますのよ」
「踊りですか?素敵ですね、私は運動神経がさっぱりで…」
「そんなものは関係ございませんのよ、貴方みたいな方にはきっとぴったりだわ。私、先生をご紹介したいぐらいよ」
「私が踊りを?…想像もつかないなあ」
「まだ23歳でしょう?若いのに食わず嫌いはもったいないわ。ぜひ一度お稽古を見にいらっしゃい。お月謝をあまり気になさらない先生なのよ」
私は特に休みの日にすることも無い手前、引越しが落ち着いたら、ご挨拶の時にまたお話させてください、と 言うと女性は嬉しそうに微笑んだ。
「嬉しいわ、決して無理強いはしませんから、遊びにいらっしゃって頂戴。踊ってね、小さい方はあまり向かないの。貴方は背丈もあるし、背筋もお顔もきれいだし、きっと衣装も映えるわ。楽しみねえ」
「お稽古の見学なんてした事が無いので、なんだか緊張してしまいそうですけれど」
「そう、その素直さ。何事もね、素直な気持ちが大事なの。仕事も趣味も人間関係も、全部素直に向き合えばうまく行きますのよ」
「そうですか、…ふふふ、へへ」
煽てられていると分かっていながら自分より年上の女性に何かを褒められた経験が無い私はすっかり舞い上がり、調子に乗ってヘラヘラと笑ってしまった。
宜しかったらこれ、貰って下さいな そう言って女性はすみれ色の包に入ったタオルハンカチを差し出した。
「そんな、頂けません」
「いいのよ、ほら貴方がお住いになるマンションの一階は、大家さんがタオル屋さんをやってらっしゃるでしょう?お付き合いで私、タオルは沢山持ってるの。誰かに使われた方がタオルもきっと幸せだわ」
中身はシェルピンクとホワイトの生地ににすみれ色の刺繍が入っていた綺麗なタオルハンカチだった。
私は久々に暖かい気持ちになり深々と頭を下げて外へ出た。外は曇り空だが厳しい湿気と暑さで、祭囃子の音と名前の知らない歌謡曲が商店街から聞こえた。一気に現実に引き戻され、汗が吹き出した。
春色の気持ちはすっかり薄墨色の夏盛りとなり、足元には一匹の蝉が死んでいた。
遠いあこがれ
職場のラジオで青葉市子が流れているのを聞いたのは初めての事だった。
(ムーミンのテーマソングのカバー曲である)
明言はしていないが、知り合いがかつて聞いていたかもしれない曲を聴くというのはどこか臨場感がある。
その人の育った街や、同じ景色を見たようなそんな感覚だ。
私はその人がどんな時にこの曲を聞いていたか思いを馳せる。
しかし、結局私が思い浮かべたのは、まだ部活をしていた中学生の頃だ。
中学二年の秋の始まりの頃、私は部活を終えるとべったりとした疲労と、脂汗が引かないまま自転車を漕いで帰路についていた。ゴム臭い爪先、髪やからだを早くお風呂の熱い湯で落としたい、という気持ちで私はいっぱいだった。もうすぐテスト期間で部活が休止になるという理由で、私がいたバレー部は少しだけ帰りが遅く、辺りはすっかり濃紺と紫色と少しだけ臙脂色を残した夕暮れとなっていた。
家の近くまで行くと、太い電信柱の傍に祖父が立っていた。
私は不思議そうな顔をしていたのだろう、小さく手を振っておかえり、と言った。私はただいま、と言って自転車を降りた。田舎故に辺りには街灯など無く暗がりで祖父の顔はよく見えなかったけれど、安心したように笑っていたのだと思う。
腕まくりをしたジャージの腕や手、顔はすっかり冷たくなっていた。収穫間近の稲穂がすっと冷たい秋風にざわざわと揺れていた。
あの時、ああ、私はすごく、ただ単純に嬉しかったことを思い出した。
そんな事を頭の片隅でかんがえるうちに、曲は終わり昼休みを告げるチャイムが鳴った。
あの人はどんな時に、どんな気持ちでこの曲を聞いていたのだろう。そんな事を思いながら私は席を立った。
そして私もこの曲を聞いたのだと、もう二度と伝えられないもどかしさに、静かに苛立った。
胡瓜、ハム、チーズ、キャベツ
柄にもなくサンドウィッチなどを作ったので写真を撮った。
弁当を作る、というのが性にあわない私にとって昼休みはそれほど楽しいものではなかった。
材料といえば、もらいものの胡瓜、ハム、近所のドラッグストアの食品コーナーに売っているカットキャベツ、プロセスチーズ、マヨネーズなど、特別なものなど何も無かった。計算すれば1食150円程度だろうか。
母は冷凍食品に何の抵抗の無い人だったし、私にとっても弁当といえば、ご飯以外は冷凍食品だった。小さい頃、熱を出して寝込む時によく食べさせてもらった焼きそばも冷凍食品だった。
だけど、実際美味しくないと思うものも沢山ある。衣が乾いた白身魚のフライや独特の匂いがするエビ焼売、自然解凍のインゲン豆等、食べたくないと思うものも少なくなかった。
高校に入って半年もすぎれば母は私一人分の弁当作りに辟易し、食費を渡すようになった。私は特に気にもとめず、大体のお昼ご飯をコンビニで値引きされたパンやおにぎりで済ますようになった。
その後母が入院していた時期があり、何も知らない祖母が私に弁当を作ってくれた。母との内容の違いにそれはそれは驚いた。
ひじきの煮物、鮭の切身、筑前煮、卵焼き、ごま塩と昆布のおにぎりが二つ。カラフルな紙カップではなくすべてアルミホイルに包まれていた。
私は食費を渡されている手前、祖母に金銭を支払うべきか話をしたが要らないと断られた。
私はタダで中身がきっちり詰まった弁当を渡されたのだから嬉しい心持ちだ。今ほど写真映えを気にするような時代でもなかったし、何より食べ物に当たり外れがない。私は嬉しい気持ちで昼休みに弁当を食べた。
話は逸れるけれど、高校に入学して間もない頃、母にお弁当のおかずは要らないから、ご飯を敷き詰めて焼肉弁当にして欲しいとお願いしたことがあった。母はそんな事を頼む娘に随分と驚いたらしく、女の子がそんなものを食べるのはおかしいんじゃないかしら?と言った。
「どうしておかしいの」
「だって、野球部の男の子ならまだしも、運動も何もしていない女の子が焼肉弁当だなんて」
「お腹が空くし、おかずを作らなくて良いじゃない」
「お父さんだって、そんなお弁当食べたことないって言ってたよ。やめておきなさい、いじめられたらどうするの」
今考えれば、高校生というものがいかに人間として未熟で何がきっかけで人間関係が変わるかを知っていたからこその母の言葉なのだが、私はあまり納得しないまま話は流れ今に至る。
結局手作りの焼肉弁当は今日に至る今まで、食べたことがない。
話を戻して、今どき、料理上手の条件に写真ばえすることが必須となってしまっているけれど、私は写真ばえなどしなくても美味しいものが好きだ。
私の手本の弁当というと、結局行き着くのはやはり祖母が数日間だけ作ってくれたアルミホイルに包まれたお弁当だと思う。
今の生活が変わったら、まずはお弁当の中身から変えてみようかなと私はぼんやりとだけれど、考えている。
ここではない何処か
今利用している電車は朝の通勤の混雑や遅延が酷く、仕事よりも移動がしんどいと感じていたこともあり、転居を決めた。
特に今住む場所に愛着など無かったし、住む理由も特に無かったつもりだった。
一つ心残りがあるとすれば、この多摩川の景色を見れなくなること、蔦屋家電へ行けなくなることぐらいだろうか。
人混みは苦手だけれど、この川の風景は決して嫌いではなかった。
心残りという程でなければ、近所の滋味深い醤油ラーメンが食べられなくなったり、近所のローソンの、店長らしい男性店員の、複雑骨折の回復具合が遠目から確かめられなくなったりと、それぐらいだろうか。
「神田川も味わい深いですよ、多摩川に比べたら小さいかもしれいけれど、私はこの街が好きなので、ぜひ住んでいただきたいわ」
私に部屋を紹介して頂いた不動産屋の方はずっとその土地に住んでいる方で、地理に富み、その土地を心から慈しんでいた。
決して生まれ育った場所では無いけれど、今度住む土地を、私も心から好きになれたらいいなと祈っている。
白昼夢のような帰省
ぼんやりとした頭を抱えながら始発電車に乗り、大宮を経由して実家に着いたのは朝の10時頃だった。
雨雲が広がって薄暗い空を見上げると、屋根の上にいる見知らぬ視線とぶつかった。
恐らく、隣家の猫なのだろう。じっとこちらを見下げ、動こうともしない。
「あの猫ね、もうすぐ死ぬよ」
「わかるの?」
「目のあたりが黒く隈になっているの、たぶん病気ね。朝方からうずくまって動こうともしない」
母はそう言って家の中へ入っていった。
私は猫についての知識がほとんど無いけれど、内田善美の「空の色に似ている」という漫画の一説に「猫は最期、何処かへ消えてしまう」というシーンがあった。
確かに傷のない野良猫の死体というのは見たことが無い。あの白い猫は、死に場所を高い屋根の上から探しているのだろうか。
私は今の場所で生活を始めてから猫というものを家の付近であまり見たことがなかった。
その代わり仕立ての良さそうな犬の散歩をしている人はよく見る光景だ。
不思議なのは都会の中心部である会社付近の方が猫をよく見る、という事だ。
繁忙期の土曜日、ビル街の会社付近はゴーストタウンのように人が誰もいない。車通りも無いので、猫が優雅に道の真ん中を我が物顔で歩いている。中華料理屋の軒下では、ずっとそこにいるかのように黄色いビールケースの上で猫が眠っている。
猫がいるか、いないかは何の基準にもならないけれど、何となく猫が道を歩いている方が人間の生活感に溢れている気がする。
犬は囲われて飼われるのが殆どだけれど、猫は自由で気高く、人間を猫らしくない猫だと思っている輩だ。
明確には言えないけれど、そんな自由な猫がよく歩く地域の方が、私はなんの柵もなく、息がしやすい気がする。
そういえば、早朝5時にアパートの階段を降りていると窓に蜥蜴がいた。
その腹は作り物のように美しく、随分と大きかったので、何処からか逃げ出したのかもしれない。
新幹線の車内で発泡酒を飲みながら猫ではなく蜥蜴が自由に道端を歩く世界を想像していたけれど、なんだか不気味で、キテレツになってしまうなと笑っていたのだった。
麦と日曜日
半年ぶりに美容室へ行った夜に、友人のOさんと自由が丘へ行った。
日曜日の夜だというのに、道端には人がたくさんいて、昼間の酷暑は引くことなく、ぼんやりとした熱が街中を包んでいた。七夕の過ぎたあたり、随分と星の粒が映える夜だった。
軽くなった髪の毛は熱を帯びて、ぬるい夜風にゆったりと揺れた。私が被っていた、横田基地祭りで購入した米軍使用のブルージーンズ製のキャップは湿気を溜め込んだ。
薬膳鍋の珍しいキノコをたくさん食べて気持ちを良くした私は、この後別の店で甘い物でも食べないかとOさんを誘った。彼女は快く誘いに乗ってくれた。
以前書いたかもしれないが、Oさんとは中学の同級生で、最近になって約10年ぶりに再会した人だ。
Oさんは私と違い、すごく気立ての良い人で、流行のものが好きなのだけれど、嫌な感じが全然しない。
それはきっと、流行のものを好きだという事に一点の懐疑心もないからだ。
気がつけば皆が好きなものを、何の疑いもなく好きだし、可愛いと思える実直さというものを私は何処かで失っていた。
私も流行に実直に生きていたら、どれだけ楽しい日々を送っていただろうか、そんな事を考えてしまう時がある。だけれど、それはある意味選択肢の少なさを意味している。
音楽、文学、ファッション、化粧、食事、すべてのカルチャーにおいて、必ずサブカルチャーが存在するこの時代は、個人に何億通りの選択肢が用意されている。
比較対象となるものを好めばどうしてもメインカルチャーに懐疑的な目を向けるし、流行を疑う。あんなもの、何が良いの?そんな事を言ってしまう。
Oさんは麦酒を好まないし、珈琲も煙草も好まない。
飴細工のように色鮮やかな果物と、たっぷりの生クリームの乗ったパンケーキが好きだし、アリアナ・グランデやテイラー・スウィフトが好きだ。パールカラーのネイル、ファジーネーブル、ショッキングピンクのスエードミュール、アボカド、カプチーノ、スムージー・ボンボン、鮮やかなマスタードイエローのオフショルニット…彼女が好きなものを挙げたらキリがないけれど、Oさんが好むのはそういうものだ。
「可愛いよね、だから好き」
私が気付かされるのは、たった、それだけで良いのだという事だ。流行だから、好きではなく、可愛いから好きというのはすごく真っ直ぐに思えた。選択肢が無いことは決して惨めではない。知る必要がないのだ。
私はOさんと別れた後、帰りの電車内で真心ブラザーズのENDLESS SUMMER NUDEを聴きながらしばし眠った。
パンケーキと一緒に私が注文した麦酒で、私は漠然と酔っていた。小麦料理と小麦製の飲物を組み合わせるとは、私にしては珍しく一貫性があるな、などと考えるうちに目が覚めた。
暇なので鞄の中身を漁ると、中に以前母親から譲り受けた沢木耕太郎のバーボン・ストリートが入っていた。ああ、ハイボールが飲みたいなあと私は欠伸をした。
明日から再び月曜日が始まるというのに、私はいつも、いつまでも緊張感の欠片もない。