きおくのきろく

フィクションとノンフィクションを混ぜて書いています

白昼夢のような帰省

f:id:mmmmmmmmmai172:20170827215458j:image

 

ぼんやりとした頭を抱えながら始発電車に乗り、大宮を経由して実家に着いたのは朝の10時頃だった。

 

雨雲が広がって薄暗い空を見上げると、屋根の上にいる見知らぬ視線とぶつかった。

 

恐らく、隣家の猫なのだろう。じっとこちらを見下げ、動こうともしない。

 

「あの猫ね、もうすぐ死ぬよ」 

「わかるの?」

「目のあたりが黒く隈になっているの、たぶん病気ね。朝方からうずくまって動こうともしない」

 

母はそう言って家の中へ入っていった。

 

私は猫についての知識がほとんど無いけれど、内田善美の「空の色に似ている」という漫画の一説に「猫は最期、何処かへ消えてしまう」というシーンがあった。

 

確かに傷のない野良猫の死体というのは見たことが無い。あの白い猫は、死に場所を高い屋根の上から探しているのだろうか。

 

私は今の場所で生活を始めてから猫というものを家の付近であまり見たことがなかった。

その代わり仕立ての良さそうな犬の散歩をしている人はよく見る光景だ。

不思議なのは都会の中心部である会社付近の方が猫をよく見る、という事だ。

 

繁忙期の土曜日、ビル街の会社付近はゴーストタウンのように人が誰もいない。車通りも無いので、猫が優雅に道の真ん中を我が物顔で歩いている。中華料理屋の軒下では、ずっとそこにいるかのように黄色いビールケースの上で猫が眠っている。

 

猫がいるか、いないかは何の基準にもならないけれど、何となく猫が道を歩いている方が人間の生活感に溢れている気がする。

 

犬は囲われて飼われるのが殆どだけれど、猫は自由で気高く、人間を猫らしくない猫だと思っている輩だ。

 

明確には言えないけれど、そんな自由な猫がよく歩く地域の方が、私はなんの柵もなく、息がしやすい気がする。

 

f:id:mmmmmmmmmai172:20170827221110j:image

 

そういえば、早朝5時にアパートの階段を降りていると窓に蜥蜴がいた。

 

その腹は作り物のように美しく、随分と大きかったので、何処からか逃げ出したのかもしれない。

 

新幹線の車内で発泡酒を飲みながら猫ではなく蜥蜴が自由に道端を歩く世界を想像していたけれど、なんだか不気味で、キテレツになってしまうなと笑っていたのだった。