遠いあこがれ
職場のラジオで青葉市子が流れているのを聞いたのは初めての事だった。
(ムーミンのテーマソングのカバー曲である)
明言はしていないが、知り合いがかつて聞いていたかもしれない曲を聴くというのはどこか臨場感がある。
その人の育った街や、同じ景色を見たようなそんな感覚だ。
私はその人がどんな時にこの曲を聞いていたか思いを馳せる。
しかし、結局私が思い浮かべたのは、まだ部活をしていた中学生の頃だ。
中学二年の秋の始まりの頃、私は部活を終えるとべったりとした疲労と、脂汗が引かないまま自転車を漕いで帰路についていた。ゴム臭い爪先、髪やからだを早くお風呂の熱い湯で落としたい、という気持ちで私はいっぱいだった。もうすぐテスト期間で部活が休止になるという理由で、私がいたバレー部は少しだけ帰りが遅く、辺りはすっかり濃紺と紫色と少しだけ臙脂色を残した夕暮れとなっていた。
家の近くまで行くと、太い電信柱の傍に祖父が立っていた。
私は不思議そうな顔をしていたのだろう、小さく手を振っておかえり、と言った。私はただいま、と言って自転車を降りた。田舎故に辺りには街灯など無く暗がりで祖父の顔はよく見えなかったけれど、安心したように笑っていたのだと思う。
腕まくりをしたジャージの腕や手、顔はすっかり冷たくなっていた。収穫間近の稲穂がすっと冷たい秋風にざわざわと揺れていた。
あの時、ああ、私はすごく、ただ単純に嬉しかったことを思い出した。
そんな事を頭の片隅でかんがえるうちに、曲は終わり昼休みを告げるチャイムが鳴った。
あの人はどんな時に、どんな気持ちでこの曲を聞いていたのだろう。そんな事を思いながら私は席を立った。
そして私もこの曲を聞いたのだと、もう二度と伝えられないもどかしさに、静かに苛立った。