きおくのきろく

フィクションとノンフィクションを混ぜて書いています

外は夏蜜柑の匂い

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随分ひどい夏風邪(夏と形容するにはまだ早すぎる気もするけれど)を引いてしまい、休みの間ずっと眠っていた。

 

幾分か喉の痛みは引いたし、熱もなかったけれど気持ちは弱っているらしく、体は鈍く重かった。

 

気がつけば日曜日の夕方になっていて、実家からの着信が数件入っていた。

 

「気がついたら休みが終わってて、悲しいな」

笑点でも見たらいいじゃない、まだやってるよ」

 

母はそう言って電話を切った。私はひどく寂しい気持ちになった。最近の私といえば、ひどく孤独感ばかりが募って、一人ぼっちになったような気持ちになる。

 

会社に行けば誰かがいるし、隣町には父が住んでいる。連絡をすれば友達は返事をくれる。私は幸せ者だ。

 

だけれど、どうしてこんな悲しい気持ちになるのだろう。どうして私は幸せを、幸せだと言うことができないのだろう。

 

https://youtu.be/075SCGzHyEE

 

夕方になるとよくKan Sanoの曲を聴いている。

これは七尾旅人とのコラボで、好きな曲の一つだ。私はこの曲を聴いてさらに寂しさを募らせている。

 

私はちょっとした主張というものが大の苦手で、自分の誕生日や、自分が褒められたこと、自分が風邪を引いたこと、自分が困った状況にあること、そんな事をうまく言葉にする事が出来ない。

 

私は、自分を主役にしてお祝いをされたり、労われたりする事をとても恐怖に思う。(自分が発信した以外のこと、言わば誕生日など、私は何の努力もしていない事を労われる事が怖いのだ。頼んだ覚えは無いけれど、誕生日は私を産んだ母に私が感謝しなければならない日だと思うし、だから祝う風潮が無くなれば良いと思っている)

 

何の努力もせずに、何かの事象だけで誰かに注目されるという事はとても甘美だと思う。体調が悪い時に誰かに心配をされると、つい、自分は皆から大切にされているのだと、勘違いをしてしまう。

 

だけれど、実際その労いの言葉に深い意味などない。ただの既成事実に対して、義務的にその人は言葉を掛けただけなのだ。分かっているのに私は未だに勘違いをしそうになってしまう。

それに、自分は特別だと思い生きている人はとても多いと思う。

 

差し入れされた小さなアーモンドチョコレートですら、私は責められたような気持ちになる時がある。私は何もしていないのに、こんな待遇を受けて良いのだろうか?とか

 

そんな言葉を掛けられると、私は誰かにとって特別なのかもしれない、と思ってしまう。同時にそれは期待として膨らんでいき、いざ実現されなかった時に傍若無人な悲しみが私をふくらませ、やがて破裂するのだ。

 

そして、前の職場で風邪を引いて体調を崩した時の事を思い出す。休む事を許されず、体調を崩した私の責任能力の無さを責められた。風邪で声が出ずに反論も出来なかった。

 

いつからか私は自分の誕生日を教えなくなった。体調が悪い事も、周囲に言わなくなった。私は特段、誰の特別でもなく、そこにいるだけだからだ。

 

だからわたしは、人の幸せを心から喜び、言葉で伝えられる人間になりたい。見返りなど求めず、誰かを労える人間になりたい。

でもきっと、私は人の期待に応えることの出来ない、人に与えることの出来ない人間だからこれからも苦しみ続けるのだと思う。

 

 

私は誰かの特別に、いつかなれるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

シャボテン、ホワイトアスパラ、ブイヨンスゥプ

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最近注目されているソルソファームという農園が実は私の家の近所にあり、バスを使って片道20分ほどだったので、先日10年ぶりに再会したOさんと行くことになった。

 

最初は二子玉川で、いわゆるプリミティヴなフレンチのランチを食べた。彼女は付け合せにパンと野菜スゥプ、オレンジジュースを選んだ。

私といえば何の醜聞も考えず、ライスの大盛りと、ブイヨン・スゥプ、麦酒を注文してしまった。

 

サーモンマリネやパテ、ボイルエッグで美しく飾られた鮮やかなサラダプレート、ポークステーキ、ラムチョップ、鮮やかな赤身を残したローストビーフ、蒸したホワイトミート、口当たりの良いチキンクリスプ等のミート・ワンプレート。これでひと皿1000円なのだから悪くは無い。

 

「麦酒が好きなの?羨ましい」

「好き、というか…飲みたいなあって思っちゃうんだよね」

「すごいなあ、私、いつかビア・ガーデンに行ってみたいから、私も麦酒を飲めるようになりたいな」

 

じゃあ、今度一緒に行こうか?その一言を言うか迷った時に、料理が運ばれてきてしまった。私は言葉を飲み込んで付け合せのポテトを咀嚼した。

 

私はOさんと2人きりで話すのは初めてで、何処まで話を踏み込んで良いのか見当を付けていなかった。

 

バスを降りて農園についてからも様々な話をした。Oさんもそれなりにどうしたら良いのかと考えていたのだろう。

 

農園には様々な植物があった。巨大で鋭利な棘を持つシャボテン、不思議な形容をしたでっぷりとした多肉植物、ブルーベリー、檸檬やオリーヴの苗木、南国のシダ植物、極彩色の美しい花たち。この敷地内の植物はすべて購入することが出来、園内には園芸好きの若者や昔でいうヒッピーのような服装の子供連れなどで賑わっていた。

 

植物に触れたり農園を散策するうち、高台にカラフルなペンキを施されたベンチがあったので、座って2人で話をした。Oさんは就職活動をしていて、やはり、それなりの悩みを抱えていた。

 

「仕事しながら貯金って出来てる?」

「うーん、正直難しいかなって思う。生活するので今は精一杯かも」

「そっかあ、ほら、私のやりたい仕事ってさ、手取りがあまり高くないから。みんなどうやってやり繰りしてるのか気になっちゃって。真面目な話をしてごめんね」

 

Oさんと温かい土と豊かな緑に囲まれて語らううち、午後の日差しは和らぎぬるく気だるい風が吹いた。

私はこんな時間が、決して嫌いではないと思った。むしろ、好きだと感じた。

 

Oさんは、これからもいつでも遊ぼうよ、と言ってくれた。私はとても嬉しかった。

 

「こういうの興味無いかなって思ったんだけど、気に入ってもらえてよかった」

「ううん、誘ってくれて本当にありがとう。お洒落な植物があって、とても楽しかったよ」

 

感謝の言葉とは、時に驚く程に温かい。こんな風に温かい気持ちで、毎日を過ごせたらどれだけ幸せだろうかと、背中に隣り合わせている悲しみがひんやりと私の背中をなぞった気がした。

 

 

 

 

 

白い夜の輪郭

 

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 「そのTシャツはダメ、ホラよく見て。ミシュランだから」

その棚に無造作に山積みになってあるTシャツは好きなものを着ていいと言ったのは先輩だった。適当に選んだだけなのだが、このTシャツに星でも付いているというのか?という私の疑問はさておき、モノクロのミシュランマンは描かれたばかりの頃の作画で、こちらに不気味な笑みを讃えていた。

「ならいいです、めんどくさいので、裸で寝ます」

またそんなこと言って、と先輩は呆れた顔をしていた。

「裸で寝たら風邪をひくでしょ」
「じゃあ、どれを着ればいいんですか」

 

先輩は少し考えたあと自分の着ていた襟がハギレのようになっている白いトレーナーを脱いで私に向かって投げた。

 

「それを着なよ」
「先輩は裸ですか」
「僕はよく酔っ払って裸で寝とるからね」

 

先輩の痩せた白いからだは太い鎖骨や肋骨が少しずつ浮いていた。
見慣れない身体の輪郭に私は目を逸らした。私は先輩の言葉を無視しようか迷っていた。

 

「寝るんですか」
「寝るよ」
「へえ」

 

私が分厚いセーターや下着を脱いで先輩のトレーナーを着ている間、先輩はぼうっと宙を見上げていた。天井は木製で、木目にはいくつかの染みがあった。先輩のトレーナーは煙草の匂いがした。

 

「どこで?」

 

私が質問を投げかけると先輩は少し間を空けて自分が横たわるベットを叩いた。その顔はひどく意地悪そうな顔をしていた。ベッドのネジが軋みバウンドする音が深夜の部屋の酒臭い部屋の中に響いていた。

 

 

 

あと と あと

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年が明けるので、日出を見に海へ行った。

朝4時の早朝は、全てが暗く、凍てついて眠っているようだった。

 

「外気-3℃だってさあ、最早冷凍庫だよ」

父は面白そうにそんな事を言った。昨日の紅白歌合戦がだいぶ前のことのように思えるほど、私は眠さで頭が働かないまま車に乗っていた。カーラジオでは少し訛りの残るDJが、畏まって新年の挨拶をした。

 

近くの海は隣町にある。何も無い海だ。

先の震災で全てが流れたせいで、原風景というには程遠い、繁栄の翳りを残した無の海。

 

 

「君みたいな子、これから何処に行っても役に立たないよ。君に何が出来るの?何も出来ないよね?何も無いよね?断言する。君みたいな子はね、絶対に人生に失敗する。そうに決まってる」

 

私は小さく薄暗い面談室で、呪いを掛けられているんだと思った。私は反論しなかった。

 

数ヶ月前に仕事を辞め、私は新しい職場で働き始めていた。仕事を辞めると伝えると、人事の人間からの面談があった。

 

「でも、私は、専門職でこの会社に入ったので、いつまでも店舗勤務というのはおかしいと思うんです」

 

「君みたいな新卒の子がね、好きな仕事ができるほど社会は甘くないんだよ。大体会社員なら会社の言う事を聞くのは当たり前だし、例えやりたくない仕事でも会社の為に、給料を貰ってる以上に、会社に尽くして働くのが当たり前なんだよ。それが労働だよ」

 

 

私は当たり前という価値観の定義が分からなくなった。それが当たり前ならば、人はどうして平気な顔をして毎日働けるというのだろう。

 

わからない、何もわからない。これは若さゆえの、苦しみなのだろうか。

 

「寒くない?」「靴下2枚履いてきた」「おっ、やるゥ」「お父さん、1枚しか履いてないの?寒さを甘くみすぎだよ」「ああ、俺が風邪ひきそうだな」

 

父と妹が日出を眺めながらそんな事を話している。思春期に別々に暮らしていたこともあり、父と私たち姉妹は特に父親に生理的嫌悪を抱くこと無く今に至る。父と妹は比較的仲が良い。

 

「お姉さん、写真撮った?」

「うん」「あとで送って」「いいよ、お父さん、写真いる?」「…え?写真?…いらない」

 

父は私が仕事を辞め、違う職場で働くと言っても、何も言わなかった。父は私を恥じただろうか。あの会社の人間が言うように、社会の当たり前という定義を、何の感情も波建てず平然と何十年もこなしてきた父は、私のような愚図を、恥じただろうか。

 

私には何も無い。あるのは、くだらないプライドと、悲しみを受け入れられない脆弱な精神だけだ。それは無意味な傷だらけで、きっとこれからも使い物にならないのだろう。

 

 

この海のように、荒れ果てた空っぽの私は、これからどうなってしまうんだろう。